愛知県豊橋市にある神武天皇像(豊橋公園)について紹介します。
軍都豊橋の歴史を伝える銅像です。
この記事の概要
神武天皇像(豊橋公園)の見どころと感想

神武天皇像(豊橋公園)はどんなところ?
豊橋公園内にある神武天皇像は、旧陸軍歩兵第十八聯隊の軍人記念碑として、日清戦争の勝利を祝うと共に戦病死した兵士を追悼するため、1899年(明治32年)に建立されたものです。銅像は当初中八町(現在の豊橋市公会堂の向かい側付近)に建立された後、八町練兵場の北側(現在の豊橋公園東側付近)へ移され、戦後いったん撤去されましたが、1965年(昭和40年)に現在の豊橋公園内へ移設されたという経緯があるようです。
現在は、かつて歩兵第十八聯隊の営内神社だった弥健(やたけ)神社の社殿跡に立ち、鳥居の奥にその姿を見ることができます。吉田城跡として知られる豊橋公園ですが、明治以降は軍用地として利用された歴史もあり、この神武天皇像は、公園に残る軍関係の遺構の一つとして軍都豊橋の時代を今に伝えています。
神武天皇像(豊橋公園)へのアクセス(行き方)
豊橋鉄道市内線(市電)市役所前より徒歩約6分。
見どころ・感想
銅像があるのは豊橋公園内の弥健神社跡です。

鳥居をくぐった先に神武天皇像が立っているため、一見すると神武天皇を祀る神社のようにも見えますが、銅像自体はもともと別の場所に建立され、戦後、この場所に移設されています。

銅像の説明版です。

このご銅像は、明治二十七、八年の日清戦役後建てられた戦
勝記念碑上に奉安した、神武天皇のお姿であります。
お装いは、いずれ故実に基づいて古代武人を模したものでし
ょう。しかし、お顔だけは、よりどころのないため、かしこく
も明治大帝をお写し申し上げ原型にしたと言い伝えられており
ます。その均整のとれた気高い風格といい、おのずからなる威
厳の拝せられるのは、明治時代の代表的芸術のこもった傑作と
いはねばなりますまい。ただ遺憾なことは作者名のさだかでな
い点でありまして、これはあるいは当時の、封建的思想に支配
され、上にはばかるきびしさと重いおきてがしからしめたとも
考えられます。ご銅像ならびに記念碑は、かつて、歩兵第十八連隊の管区で
ありました、三河・遠江・駿河・伊豆四か国の広い浄財によっ
て建ち、民間のひたむきな愛国魂のこもった権化であり崇敬の
対象でもあったのでした。けれどもさきの太平洋戦争の惨たる
敗戦により、もとの八町練兵場から、ひそかにご安泰の場所に
遷座のやむなきに立ち至った次第でございました。その後十八年、社会状勢は著じるしく変転し、かつては国を
あげての観念も、また建国の意識も大きくくずれ去ろうとして
おり、それのみが麗しい敬神崇祖の伝統も淡いほうまつと消え
ようとする痛ましささえ感じさせられるのでございます。ためにご銅像はこの渦にまかれ漂はされて、たまたまご再建
の議は二三度提唱されたことはありましても、ついに実現の運
びとならずに終わりました。今、吉田城・本丸出ぐるわの一角
保食神金柑丸稲荷を祭った清地に、ささやかながら仮のご座所
を設け、再び待望のご銅像をまのあたり仰ぎ奉ることのできま
したのは、二十年を振り返り無量の感いよいよ深く胸迫るのを
覚えずにはいられません。以上つつしんでそのいきさつを略記
し、これを後世に伝えることにいたしました。玉くしげ みずらに風の 吹きやまば
この国原は 安らけくあらじ昭和四十年十一月二十三日
豊橋市民
九地古城
神武天皇像(豊橋公園)の基本情報
神武天皇像(豊橋公園)の場所の地図は以下の通りです。
| 住所 | 〒440-0801 愛知県豊橋市今橋町3 |
おわりに
以上、神武天皇像(豊橋公園)についての紹介でした。
豊橋へ行った際には訪れてみてはいかがでしょうか。
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