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渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像の見どころ・感想・基本情報※帝国ホテルの歴史を支えた人物たち

帝国ホテル東京の敷地内にある渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像について紹介します。

ホテルの歴史を訪れる人に伝えています。

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渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像の見どころと感想

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渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像はどんなところ?

帝国ホテル東京の敷地内には、渋沢栄一(初代会長)、大倉喜八郎(第2代会長)、犬丸徹三(元社長)の胸像が並んで立っています。

銅像の場所は、本館宴会場入口脇にある駐車場の一角にあります。

渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像へのアクセス(行き方)

東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線日比谷駅A13出口より徒歩約3分。

JR山手線・京浜東北線、東京メトロ有楽町線有楽町駅より徒歩約7分。

JR山手線・京浜東北線・横須賀線、東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線新橋駅より徒歩約10分。

都営地下鉄三田線内幸町駅A5出口より徒歩約3分。

見どころ・感想

銅像はあまり目立たない場所にひっそりと並んでいます。

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見学する際は近くにいるドアマンに一声掛けた方がよいと思われます。

渋沢栄一像

帝国ホテル 銅像 渋沢栄一像

渋沢栄一は日本資本主義の父と称される実業家で、約500もの企業や社会事業の設立に関わった人物です。明治政府からの要請を受け、1890年に帝国ホテルの開業に尽力し、初代会長に就任しました。当時の日本には国際的な社交場となるホテルが存在せず、彼は国家の威信を示すために帝国ホテルを日本の迎賓館と位置づけました。

渋沢はホテル経営を単なる宿泊業ではなく、外交や経済活動にも直結する重要な役割と捉え、20年近くその舵取りを担います。彼の理念と行動は、帝国ホテルを単なる宿泊施設ではなく、日本を代表する国際的ホテルへと成長させる基礎を築きました。

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大倉喜八郎像

帝国ホテル 銅像 大倉喜八郎像

大倉喜八郎は大倉財閥の創始者であり、ゼネコンの前身となる大倉組を率いた実業家です。西洋文化を積極的に取り入れ、ホテル、教育機関、美術館など幅広い分野に投資を行いました。帝国ホテルの設立にも深く関わり、渋沢栄一とともに創業に尽力しました。特に大倉は、外国人賓客を迎える迎賓施設の必要性を強く訴え、財政面でも大きな役割を果たしました。

その姿勢は、国家の近代化を経済と文化の両面から推し進めた実業家としての信念を体現しています。帝国ホテルの創業における彼の貢献は、日本が国際社会に肩を並べるという明治時代の国家的課題を支えるものであり、現在もホテルの歴史に深く刻まれています。

犬丸徹三像

帝国ホテル 銅像 犬丸徹三像

犬丸徹三は昭和期に帝国ホテルを率いた実業家で、同ホテルの社長や日本ホテル協会会長を歴任しました。戦後直後、連合国軍最高司令官マッカーサーをホテルに迎え入れ、焼け野原となった東京を案内するなど、帝国ホテルが外交の舞台として果たす役割を存分に体現しました。

また、1958年には北欧のスモーガスボードに着想を得て、日本初の食べ放題形式インペリアルバイキングを開業し、大きな話題を呼びました。革新性と実行力を兼ね備えた彼の手腕により、帝国ホテルは戦後の混乱を乗り越え、近代的な国際ホテルへと発展しました。犬丸は、帝国ホテルを「伝統と革新が共存する場所」として次代に引き継いだ功労者といえます。

渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像の基本情報

渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像の場所の地図は以下の通りです。

住所 〒100-8558 東京都千代田区内幸町1-1-1

おわりに

以上、渋沢栄一像・大倉喜八郎像・犬丸徹三像についての紹介でした。

東京へ行った際には訪れてみてはいかがでしょうか。

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