京都にある佐久間象山・大村益次郎遭難之碑について紹介します。
幕末に暗殺された二人の偉人を追悼する碑です。
この記事の概要
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑の見どころと感想
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑はどんなところ?
佐久間象山と大村益次郎は、幕末から明治初期にかけての日本の近代化に多大な影響を与えた人物です。佐久間象山(1811-1864)は、信州松代藩の下級武士で、開国論者として知られ、勝海舟や吉田松陰といった著名な人物を育てました。彼は西洋技術や砲術を学び、日本の近代化に力を注いでいましたが、その革新的な思想は当時の攘夷派には受け入れられず、1864年、京都木屋町で刺客に襲われて命を落としました。
一方、大村益次郎(1824-1869)は長州藩出身で、蘭学を学び、西洋兵学を日本に取り入れた先駆者です。彼は長州藩の軍事改革に貢献し、戊辰戦争では官軍の指揮を執り、後に明治政府の兵部大輔として近代兵制の基礎を築きました。しかし、その急進的な改革は一部の士族たちの反感を買い、1869年、京都の旅館で襲撃され、その負傷がもとで大阪の病院で亡くなりました。
この二人の遭難碑が建てられている場所は、彼らがそれぞれ刺客に襲われた木屋町通り沿いに位置します。碑は、佐久間象山が襲撃された場所と、大村益次郎が命を狙われた宿の跡地近くに立っており、彼らの最期を悼むとともに、日本の近代化を支えた彼らの功績を後世に伝えるために建立されました。歴史的に重要なこの地は、幕末の京都が政治的に緊張していたことを象徴する場所でもあります。
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑へのアクセス(行き方)
京都市営地下鉄東西線京都市役所前駅2番出口より徒歩約2分。
京阪鴨東線三条駅12番出口より徒歩約4分。
阪急鴨東線神宮丸太町駅1番出口より徒歩約11分。
見どころ・感想
佐久間象山遭難之碑は1915年に建てられました。設計は武田五一によるものです。
大村益次郎遭難之碑は1934年に建てられました。
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑の基本情報
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑の場所の地図は以下の通りです。
住所 | 〒604-0924 京都府京都市中京区木屋町通二条下る一之船入町537-34 |
おわりに
以上、佐久間象山・大村益次郎遭難之碑についての紹介でした。
京都へ行った際には訪れてみてはいかがでしょうか。
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