大阪城周辺には、美しい石垣や天守閣の景観だけでなく、戦争の爪痕を今に伝える遺構が数多く点在しています。
この地にはかつて日本最大級の軍需工場・大阪砲兵工廠が広がっており、太平洋戦争末期には激しい空襲の標的となりました。
今回は、大阪城観光と合わせて半日ほどで巡ることができる戦争遺跡のモデルコースをご紹介します。歴史の表と裏の両面を一度に感じられる、深い学びのあるルートです。
この記事の概要
大阪城と軍都大阪の記憶

現在、観光地として多くの人でにぎわう大阪城公園ですが、かつてこの一帯には大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)と呼ばれる、日本有数の軍需工場が広がっていました。明治以降、大阪は軍都として急速に発展し、兵器の開発や製造の中心地となっていきました。
そのため、太平洋戦争末期には激しい空襲を受け、今も公園内には多くの戦争被害の痕跡が残されています。観光と合わせて、こうした戦争遺構にも目を向けることで、大阪城の知られざる歴史の一面に触れることができるでしょう。
ルートと所要時間

今回のモデルコースで回る見どころは大阪城天守閣を含めて以下の7カ所になります。
- 旧大阪砲兵工廠化学分析場
- 大阪砲兵工廠荷揚げ門
- 大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕
- 大阪城天守台石垣の爆撃被害跡
- 大阪城天守閣
- ミライザ大阪城
- ピースおおさか(大阪国際平和センター)
ルートの関係上、天満橋駅をスタート地点とし、森ノ宮駅をゴール地点としています。移動はすべて徒歩です。以下、実際に自分が辿ったルートと所要時間の目安になります。
天満橋駅出発
- 旧大阪砲兵工廠化学分析場へ移動(10分)
旧大阪砲兵工廠化学分析場
- 旧大阪砲兵工廠化学分析場を見学(10分)
- 大阪砲兵工廠荷揚げ門へ移動(10分)
大阪砲兵工廠荷揚げ門
- 大阪砲兵工廠荷揚げ門を見学(20分)
- 大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕へ移動(10分)
大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕
- 大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕を見学(10分)
- 大阪城天守台石垣の爆撃被害跡へ移動(3分)
大阪城天守台石垣の爆撃被害跡
- 大阪城天守台石垣の爆撃被害跡を見学(10分)
- 大阪城天守閣へ移動(3分)
大阪城天守閣
- 大阪城天守閣を見学(1時間)
- ミライザ大阪城へ移動(2分)
ミライザ大阪城
- ミライザ大阪城を見学(30分)
- ピースおおさか(大阪国際平和センター)へ移動(15分)
ピースおおさか(大阪国際平和センター)
- ピースおおさか(大阪国際平和センター)を見学(1時間)
- 森ノ宮駅へ移動(3分)
森ノ宮駅到着
こちらのルートの総所要時間は約4時間半程度で、半日あれば全て見て回ることは十分に可能です。
上記7カ所の見どころのうち少し時間がかかるのが大阪城天守閣とピース大阪です。天守閣は、当日窓口に並ばなくてもいいようにWEBチケットを事前購入しておくのがおすすめです。
旧大阪砲兵工廠化学分析場

1919年に建てられた旧大阪砲兵工廠化学分析場は、兵器の材料研究を行うための施設でした。赤煉瓦造りのネオ・ルネサンス様式が印象的な建築物です。
戦後は大学や自衛隊によって使用されていましたが、現在は立ち入りができないまま静かに残されています。今もその外観からは、大阪が軍都であった時代の面影を感じることができます。
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天満橋駅から旧大阪砲兵工廠化学分析場へは10分程度です(地図)。
大阪砲兵工廠荷揚げ門

明治時代の1871年に造られた石造りの水門で、大阪砲兵工廠へ物資を運ぶために使われていました。
かつては川と工場をつなぐ物流の要所でしたが、今は大阪城公園の片隅に、戦時中の軍需輸送の歴史を静かに物語る遺構としてひっそりと残されています。
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旧大阪砲兵工廠化学分析場から大阪砲兵工廠荷揚げ門へは10分程度です(地図)。荷揚げ門を見学する際は、一度公園敷地の外に出て見た方が全体像を把握できます。
大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕

大阪城の山里丸石垣には、終戦間際の空襲によって刻まれた機銃掃射の痕が残っています。
石の表面に点在する大小の傷は、米軍機からの銃撃の跡とされており、戦争の記憶を身近に感じさせる貴重な存在です。
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大阪砲兵工廠荷揚げ門から大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕へは10分程度です(地図)。
大阪城天守台石垣の爆撃被害跡

1945年8月14日の空襲で天守台近くに投下された1トン爆弾により、天守台石垣の一部がわずかにずれた痕跡が残っています。
天守閣自体は被害を免れましたが、石垣に生じたひずみが今も戦争の痕跡として残されています。
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大阪城山里丸石垣の機銃掃射痕から大阪城天守台石垣の爆撃被害跡へは3分程度です(地図)。
大阪城天守閣

大阪城天守閣は、秀吉が築城してから現代に至るまで、幾度も焼失と再建を繰り返してきた歴史の象徴です。現在の天守閣は、1931年に昭和天皇の即位を記念して市民の寄付により再建されたものです。
再建された当初から、現在と同じように内部は博物館として使われており、展望台も設けられていました。しかし、軍事施設が隣接していたため、軍機保護の観点から次第に規制が厳しくなっていきました。1937年には天守からの写真撮影が禁止され、1940年には窓が板で塞がれるなど、観光にも大きな制限がかけられるようになりました。
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大阪城天守台石垣の爆撃被害跡から大阪城天守閣へは3分程度です(地図)。
ミライザ大阪城

ミライザ大阪城は、天守閣と同じく昭和天皇の即位を記念した市民からの寄付により1931年に建てられた陸軍第四師団司令部庁舎をリノベーションした建物です。現在はカフェやレストラン、ミュージアムショップなどを備えた複合施設として生まれ変わっています。
当時、この建物は天守閣と並び、大阪の軍事中枢を象徴する存在となっており、昭和戦前期の大阪が軍都として機能していたことを今に伝えています。ロマネスク様式の重厚な外観や、かつての軍事施設という歴史的背景は、戦争遺構めぐりの中でも見逃せないポイントです。
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大阪城天守閣からミライザ大阪城へは2分程度です(地図)。
ピースおおさか(大阪国際平和センター)

戦争遺跡を巡った後にぜひ訪れたいのが、大阪城公園の一角にある平和学習施設・ピースおおさかです。ここには大阪空襲の実態や戦時下の暮らしを伝える資料が豊富に展示されており、防空壕の再現や体験者の証言映像などを通じて、当時の人々の個々の体験に触れることができます。
静かな展示空間で、実際に見てきた遺構の背景にあった"人間の記憶"と向き合い、戦争の意味をより深く考えることができる場所です。戦跡めぐりの締めくくりとして、平和への思いをあらためて胸に刻む貴重な時間となるでしょう。
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おわりに
大阪城観光に少し視点を加えるだけで、戦争遺跡というもうひとつの歴史が見えてきます。
派手な展示や特別な設備はなくても、石垣の傷跡や煉瓦の建物に触れることで、当時の記憶に静かに向き合うことができます。
半日の散策で、観光と平和学習の両方を体験できる貴重なルートとなっています。ぜひ一度、足元に残る歴史にも目を向けてみてください。