福岡にある広田弘毅像について紹介します。
福岡出身の文官宰相を偲ぶ銅像です。
広田弘毅像の見どころと感想

広田弘毅像はどんなところ?
広田弘毅は、福岡市出身の外交官・政治家で、福岡県出身者として初めて内閣総理大臣を務めた人物です。外務省に入り、ソ連大使や外務大臣などを歴任したのち、1936年に総理大臣に就任しました。
戦前日本の外交と政治の中枢に関わった一方、戦後は極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ、文官としてただ一人死刑となったことでも知られています。銅像は、郷土が生んだ首相を顕彰するため、大濠公園や福岡城跡に近い一角に建てられています。
広田弘毅像へのアクセス(行き方)
福岡市地下鉄七隈線六本松駅2番出口より徒歩約11分。
福岡市地下鉄空港線大濠公園駅3・6番出口より徒歩約13分。
見どころ・感想
像が福岡縣護國神社の方向を向いて立つ姿からは、戦争で命を落とした人々への慰霊や、激動の昭和史を静かに見つめるような印象を受けます。

銅像の碑銘です。

廣田弘毅先生は一八七八年二月十四日、徳平、タケ
の長男として福岡市鍛冶町(現中央区天神三丁目)
に生れる。幼名を丈太郎といい、のち自ら改めて弘
毅とす。修猷館、一高、東大に学び、柔道を玄洋社
明道館にて練磨す。学を卒えて外務省に入り、山座
圓次郎氏の薫陶を受く。東亜の平和維持に心を砕き
特に韓国、中国、ソ連との関係改善に努力す。外務
省欧米局長、駐オランダ公使、駐ソ連大使を歴任、
一九三三年国際連盟脱退後の難局を受けて斎藤内閣
の外務大臣となる。一九三六年 二・二六事件突發直後、内外の情勢緊迫
せるなかに内閣総理大臣の大命を拝し、死力を盡し
て粛軍の徹底を期す。さらに近衛内閣の外務大臣と
して入閣、軍部の暴走阻止と日中戦争の早期和平を
図るが果たさず第一線を退く。太平洋戦争終結に当
り、重臣としてソ連大使マリクと和平を図るも及
ばず終戦を迎う。然るに、極東軍事裁判は先生が文官なるにもかかわ
らず軍と通謀、大陸、南方への侵略を企図したとし
て絞首刑を宣す。而して当らず、全国民、この悲
報を意外とす。先生、毅然として判決を受け、一言
の弁解もなく従容として巣鴨刑場の露と消ゆ。時に
一九四八年十二月二十三日午前零時三十四分なり。
郷党この不当を悲しみ、不運を嘆く。ここに同志相
図り像を刻んで、その遺徳を永遠に顕彰せんと之を
建つ。後学 進藤一馬 撰并書
一九八二年五月十五日
廣田弘毅先生銅像建設期成会
会長 進藤一馬
広田弘毅像の基本情報
広田弘毅像の場所の地図は以下の通りです。
| 住所 | 〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内11 |
おわりに
以上、広田弘毅像についての紹介でした。
福岡へ行った際には訪れてみてはいかがでしょうか。
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