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【書評】古市憲寿『誰も戦争を教えられない』は国内外の戦争博物館を巡る旅行記

古市憲寿『誰も戦争を教えられない』

今回は、古市憲寿『誰も戦争を教えられない』という本について紹介します。

古市氏が世界各地の戦争博物館を巡り戦争の記憶について考察した本です。

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古市憲寿『誰も戦争を教えられない』の書籍情報

タイトル 誰も戦争を教えられない
著者 古市憲寿
出版年 2015年
出版社 講談社+α文庫

目次

本の目次

  • 序章 誰も戦争を教えてくれなかった
  • 第1章 戦争を知らない若者たち
  • 第2章 アウシュビッツの青空の下で
  • 第3章 中国の旅2011-2012
  • 第4章 戦争の国から届くK-POP
  • 第5章 たとえ国家が戦争を忘れても
  • 第6章 僕たちは戦争を知らない
  • 終章 SEKAI no OwarI
  • 付録 戦争博物館レビュー

古市憲寿『誰も戦争を教えられない』の内容紹介と感想

戦争の記憶の残し方についての考察

本書は、古市氏が国内外の戦争博物館を訪問し、「あの戦争」(第二次世界大戦)について考え分析した内容をまとめたものです。

とりわけ、焦点が当てられているのは、各国における戦争の記憶の残し方についてです。その際、古市氏が目を付けたのが戦争博物館になるのですが、その理由について次のように述べています。

つまり、戦争博物館へ行けば、その国が戦争をどのように考え、それをどう記憶しているのかを知ることができる。訪れた国の「国家観」や「戦争観」を、展示を見ながら感じることができるのだ。

また、

戦争博物館というのは、すぐれて政治的な場所である。なぜならば、戦争が国家間で行われる外交手段の一つであるように、そこで起こったことの認定もまた、一つの外交であるからだ。特に国家が運営に関わる戦争博物館では、その国家が戦争をどのように認定しているのかがわかりやすく可視化される。

と言います。いかにも社会学者らしい切り口ですが、このような視点で、日本国内および、アメリカ、中国、韓国、ポーランド、ドイツ、イタリアなどの各地の戦争博物館を訪問しています。

その結果、諸外国の特徴のある戦争博物館と比較すると、日本のそれは無味乾燥で「同じようによくできていて、同じようにつまらない」場所であると論じ、その理由を国民全体で戦争を語るための「大きな記憶」が確定していないからだと結論づけています。そしてまた、「大きな記憶」と呼べそうなものとして、日本=平和という広く共有されている自意識に注目し、この平和体験に基づいた思想や政治を提唱しています。

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戦争博物館巡りの旅行記としても面白い

この本の概要は上記の通りですが、小難しい議論はサクッと読み飛ばして単純に戦争博物館巡りの旅行記として読んでも面白いと思いました。

一口に戦争博物館と言っても、施設の形態や展示内容はさまざまです。例えば、今回の旅の出発点となっているアメリカのアリゾナ・メモリアルは、展示に湿っぽさはなく勝利に溢れた爽やかで楽しい場所で、面喰ってしまったと言います。

ポーランドのアウシュビッツやドイツのザクセンハウゼン記念館・博物館のように、当時の実物をそのまま残すことにこだわる場所もあれば、韓国・天安の独立記念館のようなテーマパークさながらの施設もあり、戦争博物館はそれぞれの国の事情や思惑が反映された場所となっているのです。

巻末には、こうして古市氏が訪れた戦争博物館について、「エンタメ性」「目的性」「真正性」「規模」「アクセス」の5つの評価軸から採点した戦争博物館レビューが付いていてこれも面白いです。

おわりに

以上、古市憲寿『誰も戦争を教えられない』についての紹介でした。

あまり空気を読まない古市氏らしく、際どいことをサラリと書いている箇所もありますが、個人的には嫌いじゃないです(笑)。戦争という大きなテーマを旅行のついでぐらいの軽い感じで論じた古市氏らしい著作でした。

巻末の戦争博物館レビューは次の旅先を探す際の資料としても役立ちそうです。

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